自分のやりたい事はいつからでも遅くない

50歳からの生き方

昨年母を天国へ見送りました。

認知症は結構早く、60歳くらいには症状が出始めていたのですが、70歳を超えた頃からは一人では生活が営むことはできなくなっていました。

兄弟姉妹で交代に暮らす事で分担していましたが、それも母への負担を増やしたのかもしれません。慣れない土地でスーパーからの道が分からなくて帰って来れずに、店長さんと手を繋いで帰ってくる母。

近くのクリニックに薬をもらいに行ったはずがそのまま山の中に迷い込んで警察に探してもらった母。

年々危険な行動が増えてきたとき、母を施設に預ける事に決めました。

私は看護師です。自分で看ればいいじゃないか、という葛藤もありました。

でもシングルマザーで働かないと生活できません。他の兄弟姉妹も家族を養うために付きっきりでは生活できません。負担の差から家族の中でも気持ちに歪みが生じてしまうこともあります。

「施設に預ける」ことは決して悪いことではないんです。

「餅は餅屋」です!

困った時はプロに任せればいいのです。私達は病院というフィールドで患者さんを任せてもらっています。介護の段階になったらなら、介護のプロに任せれば安心なのです。

家族だけで無理しなくていいんです。心まで疲弊してつぶれてしまったら、また柔らかく膨らんでふわふわな気持ちになるのには時間がかかってしまいます。

程よい距離感で、母とも兄弟姉妹とも、程よい距離感で、最期の時まで負の感情を減らして、揉め合うことなく過ごせる様に、それが最大の親孝行だと思っています。

母のことは大好きです。父は私が生まれてすぐに病死しているので、一人で育ててくれた母にはなんとも言えない愛情があります。どんな母でも大好きで、でも別れが来るときに自分は後悔がなく見送れるだろうか、と施設に入ったころからずっと考えていました。

「あと何回会えるのだろう・・・」

一年間にお盆と正月に帰省したとして、10年生きてくれたら20回。「少なっ!!」

こりゃ、実家からの帰り道に泣かなくなるまで会いに行こう、と考えました。

いわゆる「減感作療法」のような感じです。

辛いことからは逃げ過ぎず、時には向き合って、生きているうちに伝えたいことを言える状態で、自分の後悔に先に気付く、というのが自分には合っている向き合い方でした。

おかげさまで、すっきりとした気持ちで見送れましたし、今でも遺影の母は笑っています!

「健康寿命は以外と短いよ」

母や患者さんから学んだことです。病気は家族全員の人生を変えていきます。

認知症はじわじわと長期間続き、しかも身体は元気な事が多く、徘徊などし始めれば患者本人だけでなく家族を巻き込んで生活リズムを変えざるを得なくなります。

他の病気では、ある日突然病気になった方は「今まで病気なんてなかった!」と皆さん仰います。そうなんです、気付いていないだけで、病気は共存していたりします。突然身体が不自由になったり、手術を必要としたり、たくさんの我慢を強いられたり、寿命が長くない事を知ったりします。

病気があると分かったその日から自分の自由が少しずつ奪われていく、そういう状況になると、これからやりたいと思っていたことが溢れ出る様に感情を支配するのです。

「あれもやりたい。これもやりたい。」

みんなきっと、誰かの機嫌を取りながら、誰かの為に生きています。

子どもの為、親の為、夫の為、妻の為、上司の為、部下の為。

40代後半からヒシヒシと感じます。自分の為に生きていい、時間は以外と限られていると。

自分の寿命を考える様になった50歳。

遠い将来に、子供たちが私と別れる日が来るまでに後悔なく過ごしてくれるだろうか、私を介護する事に負担を感じる日が来ないだろうか、私が老けて衰えていくところを見ながらどう気持ちのバランスを取っていくのだろうか。

少しずつ親離れ・子離れしよう

社会人になったら子育て卒業!と思っていたのは当たっている様で当たっていません。

子どもたちにとっては、大人になってからもいつまでも初めて経験する事が起こるわけで、その都度相談する先は家族であり、答えを出さない程度のアドバイスをする事の繰り返しです。

社会人の子どもと、地方で大学生をしている子ども。どちらも一人暮らしをしていて、程よく生活に不便さを感じていて、家事を一人でこなしています。「親がいなくても生きていける様になってくれている」。私が理想とする自立へ近づいています。あとは大学を卒業して金銭的に自立できるようになれば、一旦子離れ成功と言えるでしょう。

ここから定年まで夜勤できる体力あるのかなぁ

50歳を迎えるころから考えていた難題。若いスタッフと一緒に働くと全員が子どもに思えて可愛いのですが、「体力的にあと15年頑張れるか・・。」

「子どもたちにご縁があって孫を授かったりする未来線には、望まれた時だけ自由に手助けできる様なフットワークのある仕事に就いていたいなぁ。」

「離婚する時、本当に大変だったなぁ。」

「シングルマザーになった時、夜勤できなくて給料安くて困ったなぁ。」

「看護師の仕事が好きなのにキツクて辞めていった仲間も大勢いたなぁ。」

「自由に働きやすい病院作れないかなぁ。」

「裁判に巻き込まれて大変な仲間もいたなぁ。」

「子育てや介護で悩む事多かったなぁ。」

「全部解決できる仕事、ないかなぁ。」

「そうだ!弁護士になろう!」

こんなわけで、私は弁護士になろうと頑張り始めたわけです。

最難関の試験と言われている司法試験。敵を知らずして戦えない!という事で調べまくりました。

子どもの大学受験と並行して司法試験の事を調べ、「司法試験予備試験」を受け始めるのです。

独学は辛い、お決まりの「仕事と家事で時間がない~」と自分に体のいい言い訳をしながら、ちょろちょろぱっぱと勉強を進めていますが、こりゃ深まらない・・と壁にぶち当たります。

大学、予備校、ロースクール、様々に調べてどれも体験してみました。

結果、理屈が分からないと納得できない私にはロースクールが合っているのではないか!という結論に至ります。

学費、生活費、子どもの下宿代と学費。出せるわけもなく・・・。

「よし!ただ時間をもったいない事に使っていては、人生まだまだ行きたかった方々に申し訳ない!」

ということでブログを始めました。

【目的】

・司法試験に合格する為の学費を創出する

・まだまだ自分の人生を宝物と感じて残りの50年を楽しく生き抜く

・自分が経験してきた事が誰かの役に立つのだと自覚して伝え続ける

・人生の軌跡を残して子供たちがいつか来る私との別れの日の区切りが付けやすい様にする

またもしよかったら読みに来てくださいね! 続く。。。

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